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会社の沿革立山黒部貫光株式会社

 立山は、富士山・白山とともに日本三霊山の一つに数えられ、古くから信仰の対象として崇められてきましたが、観光地として脚光を浴びるに至ったのは、大正の初期、水資源の宝庫である黒部川や常願寺川の水力利用計画が立てられたことに起因します。

立山ケーブルカー営業

 戦後の昭和26年、電力事業再編成により、黒部川水系は関西電力㈱、一方常願寺川水系は北陸電力㈱にそれぞれ帰属されることとなり、富山県では将来の電源開発を視野に入れた総合開発計画を策定することとなりました。この計画の一環として、立山の開発計画が実施に移されることとなり、昭和27月4月、立山山岳地域の観光交通体系整備を目的として、富山地方鉄道㈱、関西電力㈱、北陸電力㈱の三社をもって立山開発鉄道㈱(TKR)が創立されました。

 TKRは、富山県が造成する美女平~室堂間自動車道路計画にあわせ、昭和29年8月立山ケーブルカー、昭和30年7月に立山高原バス、昭和31年10月に弥陀ヶ原ホテルを開業する等運輸事業および宿泊事業の経営を行い、観光客受入れ施設の整備拡充につとめるとともに電源開発工事にも寄与しました。

立山トンネル開通

 関西電力㈱による黒部ダム建設、また北陸電力㈱による有峰ダム電源開発工事が本格的に始まったことを契機として、立山・黒部・有峰地区の一大循環ルートを完成すべきとの社会的要請が高まり、昭和35年3月富山県観光事業審議会により「立山黒部有峰地帯観光開発計画」が策定され、本計画に基づき同年5月、千寿ヶ原~長野県大町間を一貫する交通路開設の調査とその建設並びに経営を目的とした立山黒部有峰開発㈱(TKA)が設立されました。

全線開業

 TKAにおいて2ヶ年にわたる綿密な調査の結果、電力事業と関連するルートの整備は電力会社に委ね、千寿ヶ原から室堂までの道路は、富山県・日本道路公団・TKR・TKAが、室堂から黒部ダムを結ぶ区間については、昭和39年12月に官民一体により新設される立山黒部貫光㈱(TKK)がそれぞれ分担することとなりました。

 かくして昭和40年11月、TKKは室堂~黒部湖間における世紀の大工事に着手し、またTKAによる桂台~美女平間自動車道路の建設も始まり、工事はいずれも困難を極めましたが、昭和44年7月黒部ケーブルカー、45年7月立山ロープウェイ、46年4月立山トンネルバスがそれぞれ開業し、同年6月1日、富山~大町間を直結する待望の国際的山岳観光ルート「立山黒部アルペンルート」が全線開通しました。この間、昭和42年12月には立山貫光ターミナル㈱(TKT)が設立、昭和47年8月には室堂ターミナルビルが全館完成し、同年9月ホテル立山が営業を開始しました。

室堂ターミナル工事

 また、昭和62年9月、立山黒部地域の広域観光の拡充を目指して宇奈月国際ホテル(TKK、現TKTへ経営委託)が開業し、平成2年10月には、アルペンルート関係各社への物資輸送、加工食品供給等の業務を一元化し、効率化を推進することを目的として立山黒部サービス㈱(TKS)が設立されました。その後、平成8年4月には環境保全のため、立山トンネルバスを鉄道事業であるトロリーバスに転換し、室堂~黒部湖間の全線電化を果たし、残る美女平~室堂間におきましても、平成10年より低公害バスを順次導入しています。

 平成17年10月には、創業目的、事業運営を共有してきたTKKとTKRが、事業基盤の安定と、経営の効率化によるスケールメリットを活かすべく、TKKを存続会社として合併しました。

 以上、立山関係各社は、これから期待される観光需要と国際的山岳観光地たるべき要請に応えるため、受入れ諸施設の改善整備を積極的に進め、環境保全と旅客の安全を基本理念として揚げ、その社会的公共的使命の達成につとめています。



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